受容

受容
食虫植物とちゅーりっぷの間柄

「アクセプタンス」とは、つらい気持ちやイヤな考えが出てきたときに、それを無理に消そうとせず、「今そう感じているんだな」とそのまま受けとめることです。良い・悪いと決めつけず、やわらかい気持ちで見つめる姿勢のことをいいます。

「アクセプタンス」は、自分の気持ちや感覚にただひたすら集中して浸ること(自己没頭)とは違います。大事なのは、自分の内面に対して開かれた態度を持つことですが、それ自体がゴールではありません。

ただ一日中、自分の感情や体の感覚ばかりを感じていれば心が健康になる、というものではないのです。

また、「アクセプタンス」とは、すべてを手放して、心に浮かぶ記憶や思いを細かく覚えていようとすることでもありません。流れてくる体験にただ気づいていることが大切であって、それをコントロールしたり、すべて記憶しようとする必要はないのです。

ここでいう「アクセプタンス」とは、ただ受け身で我慢することではなく、柔軟で前向きな姿勢のことです。たとえ感情が強く揺れ動いているときでも、その体験に注意を向けて観察し、そのうえで意味があるときには、その気持ちや思いを行動に生かせるようにする態度を指します。

「アクセプタンス」という言葉は、時に本来の意味とは違った、あまり健全ではない形で使われることがあります。たとえば、「いい加減に大人になって、受け入れなさい」といったふうに、相手を黙らせたり、感情を押さえ込ませたりする“武器”のように使われてしまうことがあります。

このように使われると、「アクセプタンス」は、ただ我慢すること、耐えること、あきらめること、という意味になってしまいがちです。けれども、そうした受け身の形で使われるかぎり、必ずしも心の健康につながるとは限らないのです。

また、「アクセプタンス」とは、何かを欲しがったり、好んだり、「こうあってほしい」と願うことではありません。ある出来事が正しいとか、公平だと判断することでもありません。そして、変えられる状況をただ放っておくことでもないのです。

大切なのは、自分の意思で、今この瞬間に起きている体験を、そのままのかたちで受けとめることです。

「平静の祈り」が示しているように、変えられる状況もあれば、変えようとすることでかえって悪化してしまう状況もあります。

多くの人が苦しみやすくなるのは、その違いがうまく見分けられなかったり、つらい体験を受け止めるためのスキル(アクセプタンス・スキル)を身につけていなかったりする場合です。そして、そうした混乱とスキル不足の両方が重なっていることも少なくありません。

「平静の祈り」では語られていませんが、実は、たとえ状況を変えられるとしても、その変化の過程で、かえって“変えられないもの”にぶつかることがあります。

たとえば、新しい行動を始めることは可能です。でも、それによって不安になったり、慣れなくて気まずさを感じたり、自分の弱さや過去のつらさを思い出してしまうこともあります。
こうした感情や記憶、自分の過去などは、すぐには変えることができません。

だからこそ、変化をやり遂げるためには、そうした体験に向き合いながら前に進むための「アクセプタンス・スキル」が欠かせないのです。

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